もうテルコではない
「愛がなんだ」を見た。
Netflixで配信されてから3回見た。
映画館でも2回見たので、もう別に見なくていいかなとおもっていたんだけど、家で一人で夜ごはんを作りながらBGMとして流すのにちょうどよかったのと、友達の家でタコスを食べながら久しぶりに見ようよとなったのと、「くれなずめ」で若葉竜也に魅了された恋人に紹介するためにもう一度見た。この間映画館で見た「街の上で」の青はナカハラではなかった。
愛がなんだを見ている途中から、恋人はテルコをこわいと言っていた。わたしは自分をテルコに重ねてしまうところがあるので、わたしはテルコのようなところがあるけど大丈夫?と確認をした。
「岸井ゆきのに似ているところはあるけど、テルコではないんじゃない?」と言われて驚いた。
そうか、彼と出会ってからわたしはテルコではなくなったのだ。
1番テルコだったのは、わたしが大学生の頃だった。
そのころはなんだかとても恋をしていた。
こんなに好きな人はもう2度とできないだろうと思っていたのに、もうとうに他の人を愛してしまっている。恋人のことは愛しているけど恋ではない、のかもしれない。坂元裕二が松たか子に言わせていそうなセリフだ。もうすでに言わせていた気もする。
一目惚れをして、数日悩んで声をかけて、名前を知って、偶然を利用して近づいて、相手の気持ちは分からなくて、時々気まぐれに来るメッセージが嬉しくて、ベッドで足をバタバタさせて眠れない時間を過ごしていた。まっすぐで素直だったわたしは、彼が好きそうな展示を見つけては、見に行こうと誘ったり、旅行のお土産を渡したり、誕生日にブタのおもちゃをもらったりした。
何度目かのデート、のようなもの、をして、恋人がいるのかと聞こうと意を決した瞬間「聞かないで。全部終わっちゃうから」と言われたことを鮮明に覚えている。
今も当時もなんだよそれ、と思ったが、彼には秘密にしなければならない恋人がいた。
わたしたちは何度も話し合いをした。何のためかわからない。深夜のファミレスや海辺のピザ屋で、はっきりとした言葉はつかわずに電車がなくなるまでいろいろなことを話していた。2人の気持ちは交わらないとわかっていながらお互いの気持ちを確かめた。
「ねえ、なんか俺に会う口実作ってよ」
「理由がないと会えないの?」
「どうやら会いたいから会うのは彼女の特権らしい」
なんだよそれ、と思いながらわたしはいつも会うのにふさわしい理由を探していた。
何度も嫌いになったと言いながら、やっぱり好きだった。
彼と彼女は別れて、新しい彼女ができた。もちろんわたしではない。
彼女がいると知りながらも、時々耐えきれなくなって連絡をした。連絡するのはこっちでも、会おうというのは彼だった。罪悪感のようなものがないわけではなかったけれど、わたしが気を遣うことじゃないと開き直り、嫌なら返事しなきゃいいでしょと怒った。どうせ “そういう関係” にはならないし。
彼女から私と会わないでと言われたらしく、「会うのやめた方がいいかもね」と言われたことがある。
『会うのやめようとかじゃなくもっと発展的なこと考えようよ?』
と本当にテルコみたいなことをいった。
「俺はお前に何も求めないし、お前も俺に何も求めていないから、楽なんだろうな。」
ううん、それは違うよ。わたしは求めているよ。これまでと同じように時々こうして話をして、仲のいい女友達でいさせてよ。始まらないから終わらない。"そういう関係"でいたいのよ。
そんなことを言ったら「じゃあやっぱり会わない方がいいね」と言われるのがわかっているので言わなかった。
そのうち彼は彼女とも別れ、恋人という存在はいなくなったようだったけど
わたしには大切な恋人ができていて、もう会う理由を探して会うことは無くなっていた。
そのかつて好きだった男が結婚したらしい。
元恋人の結婚は切ないと聞いたことがあるけど、恋人ではなかった人の結婚でもこんなにも切ない。
大人たちはこんなことを乗り越えて平然と生きているのかと思うとこわくなる。
わたしのこの気持ちは
失恋というにはみずみずしさが足りないけれど、
これまで一番大切にしていた恋を失ったという意味では失恋といえる気がした。
「あの頃、とても恋をしていた」という確かな記憶がわたしを支えていたのだ。
もうテルコではないわたしに対して、恋人はそれは危ういねといった。
「君がテルコだった時だれかを好きだったようには、俺のことを好きじゃないということだよね」と。
そうだけど、君は守ではない。
君はわたしをテルコにするような男ではなく、
『コントが始まる』の奈津美にしてくれるような、
潤平のような男じゃないか。(実家が酒屋だし)
かつて好きだった男の結婚報告に気持ちを削がれつつもなんとか仕事を終えて22時過ぎに最寄駅に着くと、恋人はキックボードで駅まで迎えにきてくれていた。
すいすいとキックボードに乗る私の隣を歩きながら、月曜日が休みな彼の1日の出来事を聞かせてくれた。
吉祥寺にいったこと、スタイリッシュな計量カップを買ったこと、かわいい観葉植物があったけど買わなかったこと、
食パンが何種類もあるパン屋でパンの詰め合わせとわたしが好きそうなコーヒーを買ったから
明日の朝に食べようということ。
そういうわけで、わたしの幸福な日常が続くのである。
七夕
もう一生あわないと思っていた女の子から連絡が来た。
小学校の同窓会をするんだけど来れますかという連絡だった。
誰がくるのか聞いてから参加するか決めたかったけど、
くる人次第で参加を決めるような人間だと思われたくなくて
すぐに「いく」と返事をした。
そこに初恋の人がいた。
寒い雨の日にぶかぶかのパーカーを貸してくれたこと
同じ塾で自習室を出る時間を合わせて一緒にかえったこと
友達が彼と2人で帰った話を聞いて枕に顔を埋めて泣いたこと
少ししか思い出せないけど
小さな体でたしかに恋をしていたことを覚えている。
最後の帰り道に
「俺の好きな人知ってる?お前だよ!」といわれて走り去られてから
一度も会わないまま大人になった。
顔が変わらないまま大人になっていて
だけど全く知らない人みたいだった
これまでどんなふうに生きてきたのか
知りたいことはたくさんあったのに、
いざ目の前に現れると全然聞けなかった。
言いたいことはたくさんあったから、言ってやった。
わたしも好きだったんだよ。知ってたと思うけど。
七夕生まれの彼を、もう思い出さなくてすむ。
マイガール
わたしの人生は広瀬すずに似ているハーフの可愛い幼馴染ができたところから始まっている。わがままで大人たちのことも子どもたちのことも振り回す、よく泣きよく笑い1日の7割くらい怒っている女の子。彼女はいつも不機嫌だった。
彼女が怒っていることをわたしはあんまり理解ができずに、いつも隣で大人しくしていた。それが心地よかったのか、彼女にとってわたしは安定剤のようになっていて、周囲に敵ばかり作って泣きながら駆け寄ってくる彼女に「わたしと遊ぼう」とパズルを1ピース渡してはやりたくないと泣かれるような日々だった。
そういう女の子が、常にわたしの隣にはいるような気がする。とても美しくて、感情が溢れていて、あぶなっかしくて、生きるのが大変そうな彼女たち。
裏切られたり、ひどいことを言われてなんども面倒になったけど、気持ちが落ち着いたころに一生懸命謝られると、がんばって生きていてかわいいなと許してしまう。
こうやって上から目線で、わたしは生きてきた。あなたはわたしがいないとダメでしょう?って思いたかった。もうとっくに、彼女たちは1人でも生きていけるし、自分をコントロールできるのに、わたしは自分のために彼女たちをわがままにしてしまう。
ごめんね。
恋人にならなかったひと
この言葉を声に出した時、思い浮かんだ顔がふたつ。パソコンばかりの教室で一目惚れをしてから何年間も、恋人がいるとわかってもずっと恋をしていたひと。マッチングのアプリで知り合ってメッセージをやりとりしてから、数ヶ月後にやっと会って何度もデートをしたひと。恋人にならなくても、なんとなく恋の香りはしていた。触れるか触れないかの手が放つ熱を、感じたりしていた。
今日、みっつめの顔と会った。
昨日の夜に「ご飯にいきませんか?迷える仔羊です」と突然の連絡がきて、明日ならいいよと返した大学時代の友人。彼とは大学1年生の時にクラスが同じで、そのクラスが解消されてからは特に連絡を取ることもなく別々のグループで過ごした。きっかけは覚えていないけど、その一年後あたりから頻繁に連絡を取るようになっていた。
そのころのわたしたちはとても純粋に、お互いで暇をつぶしていた。どちらかがするアルバイトの話や家族の話に対してわたしはこう思うよ、俺はこう思うよ、と意見をいうことを延々と続けていて、そういった話が浮かばない日にはおはようとおやすみとその間を埋めるようになんでもない言葉を送りあった。
わたしはそのやりとりをつまらないなと思っていたし、彼は色気がないなと思っていたはず。ふたりは音楽の趣味も、映画の趣味もあわなくて、遊びにいくときは公園や喫茶店でただ何でもない会話をするだけだった。
周りからは付き合っているの?と聞かれるくらい仲が良くて心地が良かったけれど、好きじゃなかった。これは、お互いに。
どちらかがかすかな恋の香りを感じて手を繋いだら、きっと何かが変わっていたと思う。けれどわたしたちはどちらも手を伸ばさなかった。
「あの時、なんで付き合わなかったんだろうね」
新宿の雑居ビルの5階で仔羊を焼きながら彼はポツリと言った。あの時とはハタチくらいの時。なんでもないわたしたちの日々のこと。
「付き合ってたら、どんな感じだったろうね」
「うまくいってたと思うよ、今頃結婚してたかな」
お酒で赤くなった顔で改めて「ぼくはあなたが好きです」なんて言われて「わたしも好きよ」なんて返したけれど、ふたりの関係はどうにもならないことを知っている。知っていて、安心して、好意を伝えることができる。
君の素直なところが好きです。一度やると決めたことをやり抜くところが好きです。時代の流れが変わっても自分の好きなことを好きだと言い続けられるところが好きです。無理をしないところが好きです。
恋人にならなかったけれど、好きだよ。
恋人にならなかったけど、好きでしょう。
今、きみはわたしの大好きな女の子の恋人で
わたしには君の知らない恋人がいる
山田詠美
8時34分 満員電車よりもちょっと空いている電車に乗って30分、乗り換えてさらに15分 一駅一駅進むごとに少しずつ覚悟を固めて会社のエントランスをくぐる。意外にもエレベーターで乗り合わせる人々の顔色は明るくて、わたしの心の中に残っている休日への未練はパチパチと小さな破裂音を発しながら消えてしまう。
最近のわたしは、全然だめだ。自分でだめだと言えてしまうくらいにだめなのだ。24歳、たぶん思春期。
やりたいこととやっていることと出来ることのバランスがうまく取れないで、ただ人と話しているだけで涙が出ることもある。
誰かのせいにできれば良いけど、それもできない。ただ、1日の多くの時間を費やしていることが自分のやりたいことではないと気付いてしまった以上、そこに熱を上げることができないまま、どこか別の場所に行くにはまだ早すぎるような気がしている。そんなことない、きっと今がその時だと思う自分もいる。
休日になると必ず、なりたかった自分を思い浮かべて落ち込んでしまう。かつて書いていたブログを読み返すと、なりたかった女の子について書いてあった。
「わがままで、気分屋で、それでもたくさんの人に好かれていて、この子といると世界が変わるかもしれないと思わせてくれるような女の子。
男が好きなせっけんの香りを身に纏うのではなく、自分の好きな香水を好きなだけつけて足首には金色のアンクレットを着けるような女の子。
誰かのためにではなく、自分のために生きられる女の子。」
好きなように、自由に生きているか?
こうでなくてはならない、という空気が漂う職場への精一杯の反抗のつもりで髪の毛を染めた。生まれて初めてブリーチをして、焦げ茶色のなかにいくつか金を混ぜた。自分のために、好きな自分でいられるように、強くなろうと思った。
そんなわたしの小さな決意はしばらくの間誰にも気づかれなかったけれど、耳の後ろにきらりと光る少しの束を見て恋人は「猫みたいにしたの?」と笑った。
:吉澤嘉代子-月曜日戦争
ハーフタイム
外はずいぶんと涼しくなって、気づいたらニュースはハロウィンの渋谷のことで騒がしくなっていて、わたしはまだスイカも食べていないし手持ちの花火もしていないんだから勝手に終わろうとしてんじゃないよ、夏。と少し苛立ちながらも、なにか特別なことのように語られたこの季節が終わったことにほっとしている。
わたしの生活は相変わらず幸福に満ちていて、ときどき恋人とケンカをして絶望的な気持ちになるけれど、それも1日、引きずって2日で終わる。2人がちゃんと寝られるようにケンカはその日のうちに終わらせる、というのをはじめに決めておいてよかった。
わたしの幸福は生まれた時から決まっていたような気がする。パワフルでチャーミングな母と穏やかでキュートな父の間に生まれ、4つ違いの姉にかわいいかわいいと言われて育った。両祖父母が80歳を過ぎても病気1つせず、健康でいてくれているので月に一度は顔を見に行ってはみんなでごはんを食べる。
わたしがたとえば突然仕事を辞めて無職になったとしても、みんなはきっと「休みができたなら旅行に連れてってよ」と笑って声を掛けてくれるし、それだからいつでも仕事を辞められるという気持ちで安心して働いていられる。
黄色い目の魚に出てくるハーフタイムのような店がほしい。
昼間は高校生がコーラを飲みながら試験勉強をして、夜は仕事帰りの大人がやってきてビールとウイスキーを飲む。時々若い女の子がジンライムを頼む。きっと思っていた味とは違う、喉を熱くさせるジン。わたしはそこでいつだって誰かを待っていたい。わたしがそこにいることで救われたと言われてみたい。言葉にするとチープだけれど、わたしは本当にそういう場所になりたいとずっと思い続けている。
高校生の頃から同じようなことを言っているものだから、今すぐにお店を始めたらいいのにと言われるたびに「こんなペーペーに人生の話とかされたくないでしょう」と言い返し、みんなと一緒に受験勉強をして大学に行き、人生経験を積むためにと入社した企業で時々不満をこぼしながら悪くないが良くもないという毎日を過ごしている。
仕事帰りに友人とビールを飲んでいると、「どう生きたって私たちには絶望がない」と言われた。どんな人生経験を積んだとしても、ほんとうにつらい人の気持ちには寄り添えないし、そんな風に寄り添ってほしい人はきっとわたしの元にはこない。ふつうに楽しい人生で、どこでも生きていけそうなわたしだから、生きるためではなく余暇のための店を構えよう。わがままで自由な店にしよう。
絶望のない自分を肯定したら、目の前がパッとひらけた気がした。きっと今夜、1人でジンライムを飲みに行く。
東京に生まれてしまった
本当に言いたい事は何なのかと考えていると、ほんとうは何も言いたくないことに気づく。
本当は何がやりたいのかを考えていても、ほんとうは何もやりたくないのだと思う。
どこの街でどんな風に暮らしたいかもわからない。つくる人になりたいけれど何をつくりたいかもわからない。なにもわからない。なにもしたくない。
九州のまちで育った恋人の実家を訪ねたとき、わたしは自分自身のことを「東京に生まれてしまった」と思った。
彼は地元への愛と誇りを持っていて、東京に出てきてからも「自分のまち」として故郷を語る。実家に帰った時は連れていきたいとこがある、と片道2時間のドライブをした。隣の県の牡蠣小屋にいって、わたしが新宿のオイスターバーでアルバイトをしていた時には食べたことのない量の牡蠣を自分で焼いて剥いて食べた。
わたしにとって、自分のまちといえるのは、地下鉄の最寄駅とその両隣までで、それより離れてしまうと自分のものではなくなってしまう。
恋人は東京に出てきた19歳の頃、1人でいろんなところに行ったと言っていた。銀座の料亭ランチも、歌舞伎も、立ち飲み屋も、一人でいっては東京を楽しんだ。「俺の方が東京を知ってるね」と得意げな彼に、そうだねとうなずきながらわたしの東京のことを考える。
お年玉をもらって原宿にアイドルの生写真を買いにいった。
かいじゅう公園で好きな人にチョコを渡した。
土手道を自転車で走って高校に通った。
カラオケで試験勉強をした。
日曜日の昼、好きなバンドのアコースティックライブに行った。
スカイツリーが出来上がるのを、トイレの窓から眺めた。
大東京で真っ先に朝日を迎えるこのあたり
なにもなくても、なにもしなくても
ここは東京、ずっと東京。
わたし何を言いたかったんだろう。
東京のこと考えたり、忘れたりして
気づけばもう5月が終わっていた。