東京に生まれてしまった

本当に言いたい事は何なのかと考えていると、ほんとうは何も言いたくないことに気づく。

本当は何がやりたいのかを考えていても、ほんとうは何もやりたくないのだと思う。

どこの街でどんな風に暮らしたいかもわからない。つくる人になりたいけれど何をつくりたいかもわからない。なにもわからない。なにもしたくない。

 

九州のまちで育った恋人の実家を訪ねたとき、わたしは自分自身のことを「東京に生まれてしまった」と思った。

 

彼は地元への愛と誇りを持っていて、東京に出てきてからも「自分のまち」として故郷を語る。実家に帰った時は連れていきたいとこがある、と片道2時間のドライブをした。隣の県の牡蠣小屋にいって、わたしが新宿のオイスターバーでアルバイトをしていた時には食べたことのない量の牡蠣を自分で焼いて剥いて食べた。

 

 

わたしにとって、自分のまちといえるのは、地下鉄の最寄駅とその両隣までで、それより離れてしまうと自分のものではなくなってしまう。

恋人は東京に出てきた19歳の頃、1人でいろんなところに行ったと言っていた。銀座の料亭ランチも、歌舞伎も、立ち飲み屋も、一人でいっては東京を楽しんだ。「俺の方が東京を知ってるね」と得意げな彼に、そうだねとうなずきながらわたしの東京のことを考える。

 

お年玉をもらって原宿にアイドルの生写真を買いにいった。

かいじゅう公園で好きな人にチョコを渡した。

土手道を自転車で走って高校に通った。

カラオケで試験勉強をした。

日曜日の昼、好きなバンドのアコースティックライブに行った。

スカイツリーが出来上がるのを、トイレの窓から眺めた。

 

大東京で真っ先に朝日を迎えるこのあたり

なにもなくても、なにもしなくても

ここは東京、ずっと東京。

わたし何を言いたかったんだろう。

東京のこと考えたり、忘れたりして

気づけばもう5月が終わっていた。