時々、週末に恋人の部屋に行く。

 

駅から徒歩15分、風呂屋の裏に回ると門の中に玄関があり鍵を開けて階段を登る。普通の家とは違う複雑な構造。1階にLDK、2階に和室が2つと洋室が2つ、3階に洋室が3部屋ありその1つが彼の部屋だ。

 

彼は普段あまり家事をしないのでわたしが遊びに行くと思い立ったように洗濯機を回し部屋の埃を取り、クイックルワイパーをかけ、ラグをコロコロする。そうしている間に洗濯が終わり、先週干したままの洋服を取り込む代わりに脱水された服を窯場の竿にかける。風呂を沸かすとき、窯場に干しておくとすぐ乾くのだそうだ。

取り込んだ服を部屋に持ち帰って綺麗に畳む。

わたしは全部見ているだけだ。

彼の生活を見せられている、と思う。

 

わたしがいてもいなくても同じようにテレビを見たり本を読んだりパソコンを広げて仕事をしたりしていて、わたしはそれを眺めながらぼんやりとしている。

 

彼の棚の上にインスタントカメラが置いてあって、なにを撮ったのときくと彼はわからないと答えた。

昔の恋人を撮ったんでしょ。そうかもしれないね。キスしてる写真があったりして。それはないけど、キスだったらまだいいね。たぶん何気ない日常撮ってるよ。それはウッてなるね。おれもなるよ。そっか、そうだよね。

 

恋人にはかつて6年間付き合った人がいて、わたしが彼と付き合うことになる前にずいぶんと話を聞いていた。恋人の昔の恋人の話を聞くときはいつも魚の骨がのどに詰まったみたいな感じがする。過去は過去、とわかりながらもわたしの知らない過去があることが切なくて、泣きたくなる。

 

彼の人生において私の存在は第3章あたりに出て来る恋人Cで、私の人生において彼の存在は長いプロローグがおわり、最初に出てくる恋人A。そんなことを思ってしまうのは、きっと私だけだからくやしい。

 

くやしいから、彼のことを写真に撮る。いつか現像した時に、ここから先は私の彼ですとわかるように、わたしの赤いセーターを畳む彼を撮る。何気ない日常、今度はわたしが撮ってやる。