恋人にならなかったひと

この言葉を声に出した時、思い浮かんだ顔がふたつ。パソコンばかりの教室で一目惚れをしてから何年間も、恋人がいるとわかってもずっと恋をしていたひと。マッチングのアプリで知り合ってメッセージをやりとりしてから、数ヶ月後にやっと会って何度もデートをしたひと。恋人にならなくても、なんとなく恋の香りはしていた。触れるか触れないかの手が放つ熱を、感じたりしていた。

 

今日、みっつめの顔と会った。

昨日の夜に「ご飯にいきませんか?迷える仔羊です」と突然の連絡がきて、明日ならいいよと返した大学時代の友人。彼とは大学1年生の時にクラスが同じで、そのクラスが解消されてからは特に連絡を取ることもなく別々のグループで過ごした。きっかけは覚えていないけど、その一年後あたりから頻繁に連絡を取るようになっていた。

 

そのころのわたしたちはとても純粋に、お互いで暇をつぶしていた。どちらかがするアルバイトの話や家族の話に対してわたしはこう思うよ、俺はこう思うよ、と意見をいうことを延々と続けていて、そういった話が浮かばない日にはおはようとおやすみとその間を埋めるようになんでもない言葉を送りあった。

わたしはそのやりとりをつまらないなと思っていたし、彼は色気がないなと思っていたはず。ふたりは音楽の趣味も、映画の趣味もあわなくて、遊びにいくときは公園や喫茶店でただ何でもない会話をするだけだった。

 

周りからは付き合っているの?と聞かれるくらい仲が良くて心地が良かったけれど、好きじゃなかった。これは、お互いに。

どちらかがかすかな恋の香りを感じて手を繋いだら、きっと何かが変わっていたと思う。けれどわたしたちはどちらも手を伸ばさなかった。

 

「あの時、なんで付き合わなかったんだろうね」

 

新宿の雑居ビルの5階で仔羊を焼きながら彼はポツリと言った。あの時とはハタチくらいの時。なんでもないわたしたちの日々のこと。

 

「付き合ってたら、どんな感じだったろうね」

「うまくいってたと思うよ、今頃結婚してたかな」

 

お酒で赤くなった顔で改めて「ぼくはあなたが好きです」なんて言われて「わたしも好きよ」なんて返したけれど、ふたりの関係はどうにもならないことを知っている。知っていて、安心して、好意を伝えることができる。

 

君の素直なところが好きです。一度やると決めたことをやり抜くところが好きです。時代の流れが変わっても自分の好きなことを好きだと言い続けられるところが好きです。無理をしないところが好きです。

 

恋人にならなかったけれど、好きだよ。

恋人にならなかったけど、好きでしょう。

 

今、きみはわたしの大好きな女の子の恋人で

わたしには君の知らない恋人がいる